シグナレス/signaless signaless

リレーエッセイ
食べ物に関する話

 残念ながら未だに海外旅行に行ったことがありません。勿論、行ってみたい国というのはいくつかあって、その中の一つがイギリスです。それというのも坂田靖子さんのマンガでよく描かれているからです。
『闇月王』や『叔父様は死の迷惑』など多くの作品でイギリスが舞台となっています。そんな中で今回のテーマである料理に関する話ということで言えば、『底抜け珍道中』に出てくる「プディング」が気になっています。この作品は、イギリスに住んでいるマーガレットさんとご主人のタルカム氏の二人のドタバタを描いたマンガです。イギリスにはおいしい料理がないというような世間の噂とは正反対にこのマンガではおいしそうな「プディング」という料理が紹介されています。プディングはタルカム氏いわく「小麦で作ったタルトパイみたいな地にシチューや煮込みを入れたり フルーツやジャムをまぜたりして煮たり蒸したりしてるヤツ」とのことです。作品の絵を見てもかなりおおざっぱに描かれていて、実際にはどんなものなのか想像がつかないのですが、何となくおいしそうな感じがします。
いつの日にかイギリスでプディングを食べる日が来るのか、あまり実現しない未来のような気がします。(M)


国語の教科書で読んだ思い出の作品

芥川龍之介「トロッコ」

 思い出なんて特にはないんだけれども、トロッコという作品のことは憶えている。でも内容はやっぱりあんまり覚えていなくて、今回、この文章を書くために読み直してみて、ああ確かによんだことあるなあ〜という程度。どうして覚えていたのか?それは国語の授業の先生とセットになった記憶だから。その人はS先生、あだ名は“ボケ男(オ)”ひどいあだ名だけど、学生のつけるあだ名なんてそんなものだ。細身だけれども筋肉質で長身の眼鏡、寝癖頭にでかい手を良く動かす、少し小汚い感じのする男だった。先生という人種は世間に過剰適応した“いい子ちゃん”か、もしくは先生ぐらいにしかなれないだろうというような“奇人”か、どちらかが多いのだけれども、僕が中高生のときは後者の人が多くて彼もその一人だった。僕が覚えているのは彼が教壇をトロッコに見立て必死の形相で押しているその姿なのである。「トロッコ〜トロッコ〜」なぜだか本編中にも出てこない謎のセリフをはきながら、彼はトロッコを押す主人公良平の真似をするのである。学生への受けを狙った行為なのか、少し天然なのか今でも分からないけれども、取り立てて注目されることも無いこの作品がなんらかでも記憶に残っているのだから、教師としては成功だったのではないだろうか?


 そして僕はいま、あの時の先生と同じぐらいの歳になったと思う。振り返って見るとあの頃は“教える”ということにもう少し幅があったような気がする。今だから言えるのかもしれないが問題とか正解はいつも最後の付け足しにすぎない。それは物事のケジメとかと同じぐらいの気持ちで良かったのだ。この最低限のケジメを横目で見守りつつ僕たちは作品が作り出す世界で遊んでいたらよかったのだろう。


 そう考えると、僕らとボケ男はあの時、生徒と教師の立場のまま確かに遊んでいたけれど、あれもまた一つの教育なのだろう。奇妙なことに僕は今になって彼に少し憧れている。どこに?と訊かれると言い難いのだけれども、世間から離れているわけではなく、少しずれている所なのかなあ?小汚い男という部分は確実にそっくりなのだけれども。(H)


国語の教科書で読んだ思い出の作品

中島敦『山月記』

教科書というものに、あまりいい印象をもっていません。「この文章において作者が言いたいことは何か?」などと問うような国語の授業から離れて読むからこそ、本は面白いのだと思います。わたしにとって本はいつも、不意に読み始めるものであり、ときどき雲の形を眺めながら読み継ぐというふうであるのが、読書の理想的なありかただと思っています。けれども、国語の授業で出会った作品にも印象に残っているものがないわけではない。妙に心に残っている作品というのがあります。高校生のときに習った中島敦の『山月記』はそんなひとつです。役人を辞めて詩人を志すも果たせなかった主人公が虎に変わってしまう謎の物語。「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」とを抱えて苦悩する彼のかなしみは、たしかに高校生のわたしをとらえたのだと思います。「これが面白くなきゃ、他の教科書の作品ぜんぶ面白くないよ」という国語の先生(病弱で休みがちな中年の細身の男の先生でした)の言葉が今も耳に残っています。後年「不意に」読み返してみたことがありますが、やはり冴え冴えとした文章に心が引き立ってくるような、ふしぎな傑作でした。(O)


国語の教科書で読んだ思い出の作品

杉みき子「あの坂をのぼれば」(『小さな町の風景』(偕成社)所収)

中学校に入学したばかりの頃、色々なことがあって、少し重苦しい日々を過ごしていました。
そして、その頃国語の授業で読んだのがこの作品です。ある少年が自分の家の裏山をのぼれば海が見えるという祖母の言葉を信じて歩き続けるというストーリーなのですが、結局作品の中では海は見えないままで、ただかすかにその予感だけが描かれていました。当時の僕は閉塞感に満ちた毎日の中で、海が見えるかもしれないというそのかすかな予感を、自分の中の小さな光のように感じていました。
大学生になって、この作品を改めて読むと、本当に短い作品で、でもやはり僕にとっては明るく少し憂鬱な春を思い出すそんな作品でした。(M)


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