シグナレス/signaless signaless

からっぽの世界あるいは反省文、もしくは言い訳の記

「からっぽの世界」といえば、言わずと知れたジャックスの名曲です。この曲を聴いているとどこまでも底に沈んでいくような気分になります。それにしても、どこからあのような曲が生まれてきたのでしょう。


つげ義春さんの作品の中にも、本当にどうしようもないからっぽの感じが伝わってくる作品があります。タイトルは忘れてしまいましたが、主人公が最後に何もかも失いウジ虫のような存在になってしまう話があって、ああいう感じは本当のところは理解していないのかもしれませんが、なんとなくわかる気がしてしまいます。そんなつげさんの作品がからっぽそのものだとすると、一周回ってしまったのが、吾妻ひでおさんの『不条理日記』になるのかもしれません。「意味ないけど、それが何か?」という感じです。だけど、これもまたおもしろい。


日々を前向きに、未来に向かって一歩ずつ積み上げている人を見ると、あこがれることはあります。しかし、今の自分とは違う世界だなとも思います。


10年後、20年後の世界に責任を持てるのかなと思えるような軽い感じのリーダーがいますが、それに比べれば、何もしないほうがましということもあります。本当のところからっぽであることに気づかず他人を巻き込んで無責任なことをするよりも、からっぽなことを自覚し、内省する方がいくらかましだと思うのですが。


与えられたものを受け入れ、適当にふわふわするのが良いのでしょうか。何だか一見、不真面目にも思えますが、単純に雲を眺めてのんびりしたり、月を観てその美しさに感動する、それ以上でもそれ以下でもない日常を肯定できれば、それはそれですばらしいことだと思います。


「反省だけなら、猿でもできる」、全くその通り。そこをふわりと乗り越えたい感じです。(M)


京都近郊ひとり旅

滋賀県東近江市の、金堂町へ行ってきました。近江商人発祥の地として知られる地域です。


京都駅から琵琶湖線に乗り、近江八幡駅で下車。ここまでは、今までにも何度か来たことがありますが、そこから初めて近江鉄道に乗りました。2両編成のワンマン電車に揺られるうち、窓外の風景は、見る間にローカル色を増してゆきます。


八日市駅で本線に乗り換え、ふたつめの五箇荘駅で下車。そこからは歩きます。田園風景が広がる国道沿いのコンビニで道を尋ねると、店員の青年は、地図を出してきて、丁寧に教えてくれた上、「教えるのが下手ですみません」と頭まで下げるので、恐縮しました。


保存地区の金堂町は、白壁に黒い舟板塀が美しい屋敷が並び、道に沿って流れる掘割が情緒を醸していました。舟板塀は、琵琶湖を行き来していた舟の板を再利用したものらしく、富を築いても質実な暮らしぶりが、垣間見えました。堀の水を屋敷内に引き込み、洗い場に利用した「川戸(かわと)」も、水の豊かなこの地ならではの知恵。ともあれ、通りから通りへと、気のすむまで歩きまわりました。


あいにく月曜日で、近江商人博物館は閉まっていましたが、ぼくの場合、これはさほど問題になりません。世の中には、旅に出ると、真っ先に博物館や美術館に行くというタイプの人もいますが、ぼくにとっては、そういう時間を超越した場所よりも、じっさいに町や商店街を歩いて、その土地の光、風、水を感じ、その土地に暮らす人の息遣いを感じることのほうが、重要だからです(博物館で歴史を勉強することも大事よ、と言われるかもしれないけど)。


近年、身近に多くの魅力ある場所があることに目覚め、ときどき出かけています。滋賀県では他に、堅田、近江八幡、長浜など。sまた、和歌山県の湯浅町、大阪府の富田林、福井県の三国、三重県の関宿などにも足を運びました。


これからも、足の向くまま、気の向くまま、近場の懐かしい景色をたずね歩くことと思います。なんとなれば、身近でディープ、というのは、ある意味では、一番面白いことかもしれませんから。(O)


酔っぱらいの詩

『Happy Songs』/『アル中病棟』

クロマニヨンズのギタリスト真島昌利がまだブルーハーツにいた頃、何枚かのソロアルバムをリリースしています。そのうち、初期の2枚がすきで、今でもときどき聴いています。とりわけ、2枚目の『Happy Songs』に収められている最後のナンバー「Happy Song」は特にすきな1曲です。最高の酔っぱらいソングです。


自分自身は体質的に、あまりお酒が飲めないので、今現在のような酔っぱらいになるとは、全く思っていませんでした。それがいつの頃から、毎日飲むようになり、休みの日は昼間から飲んだりして、最近はすっかり酔っぱらい街道まっしぐらという感じになっています。


昨年、出版された吾妻ひでおさんの『アル中病棟』(イースト・プレス)は吾妻さん自身がアルコール中毒になり、病院に入院していた頃のことを描いた作品です。しかし、もともと吾妻さんもお酒はほとんど飲めなかったそうです。そのあたりのエピソードは『アル中病棟』のその前の時期を描いた『失踪日記』(イースト・プレス)に詳しく描かれていて、それを読んでいると、飲めない人が飲めるようになる(体質的にお酒に強くなるわけではないけど、飲んでしまうようになる)というその過程は、今の自分の状況にも通ずるものを感じ、納得させられます。


ところで、私が思い浮かべる最強の酔っぱらいと言えば、高田渡さんです。タナダユキ監督の映画『タカダワタル的』を観ていると、四六時中酔っぱらっていて、実に平和で楽しそうに見えます。高田さんには、実際に酔っぱらったままライブをやって、途中で寝てしまったというエピソードもあるそうです。その高田渡さんの曲に「生活の柄」という曲があります。これは山之口貘の詩に高田さんが曲を付けたもので、僕の中では酔っぱらいの詩というイメージがあります。酔っぱらいながら、夜の街を歩いていると、この歌を思い浮かべることがしばしばあります。


最近、自分自身のお酒の飲み方があまりよろしくない感じだと痛感しています。一緒に飲んでいる方にはほんとうに申し訳ない限りです。ひどいことを言っておきながら、あまり、はっきりした記憶もなく帰宅し、翌朝、やってしまったと思うことがよくあります。そして、それを忘れたくて、また飲んでしまう・・・。


自分自身があまりお酒に強くないことを考えると、もう少し飲めればと思うのと同時に飲めたらひどいことになっているだろうなとも思います。そういう意味で言うと、神様はちょっぴり不公平だけど、うまくできているんだなと思います。


音楽という名の魔法

大森靖子『魔法が使えないなら死んでしまいたい』/

「すべての武器を楽器に」こう書かれたステッカーが近所の音楽教室の前に貼られています。誰が考えた言葉なのか知らないのですが、結構気に入っています。


大森靖子というアーティストの作品に『魔法が使えないなら死んでしまいたい』というタイトルのアルバムがあります。大森靖子を知ったのは、2、3年前のことだと思います。今泉力哉監督の映画に彼女は出演していました。2、30分くらいの短編で、彼女はこの作品の後半に本人役で登場し、弾き語りを披露していました。その歌声は、何とも言えないパワーがあり、それ以来、僕は彼女の曲を聴いています。


さて、『魔法が使えないなら死んでしまいたい』の3曲目に「音楽を捨てよ、そして音楽へ」という曲があります。この曲の最後で大森靖子は「音楽は魔法ではない」と何度もさけびます。アルバムのタイトルとは少し矛盾したフレーズです。しかし、最後の曲「魔法が使えないなら」のラストでは「音楽の魔法を手に入れた西の魔女4:44」と歌っています。大森靖子にとって、音楽はやはり魔法なのだろうし、彼女にはその魔法が使えるのだと、僕は思っています。


最近、ますます音楽を聴くのが好きになっています。決して、音楽に詳しいわけではありませんが、ウォークマンでいろいろな曲を雑多に聴いています。音楽を聴いていると、こんなどうしようもない自分でも生きていていいんだと勇気をもらえるし、例えばライブに行って盛り上がっている瞬間には、正にこの瞬間を生きていることを実感します。そういうことを感じさせる音楽は魔法だと思うし、僕には、その魔法を使うことはできないけれど、魔法にかかることはできると思っています。


当たり前のことですが、音楽という魔法は音楽を愛し、音楽を聴く人でないとかかることができません。でも、音楽を聴く者同士であれば、どんなに立場の違いはあっても、その魔法の力で、ハッピーになれます。


「すべての武器を楽器に」、そんなことできるわけはない、何青臭いこと言ってるんだ、そう考える人がほとんどだと思います。でも、できないことができるようになるからこそ、魔法なのだと思います。そして、武器で人を傷つけるより、楽器を奏で音楽で人を楽しませる方が絶対いいに決まっています。 いつの日か、音楽の魔法の力で、すべての武器が楽器になりますように。(M)


リレーエッセイ
古い家

前回(かなり経ってますが)、「食」について書いたので、今回は「住」について書きます。ということは、次回は「衣」かな。


今住んでいる家は、築40年と古く、壁と柱の間に隙間ができていたり、天井に染みができていたり、廊下の床がミシミシ音を立てたり、いろいろガタがきています。とくに、自分の部屋の木枠の窓は隙間が多く、冬は暖房をしても寒い。それに、自分でもあきれるほど散らかっており、足の踏み場もありません。そのほとんどは本で、自室は二階なので、床が抜けないか恐い気もします。本屋を始めてなにより痛感したのが、本は重い、ということですから。


とはいえ、今の家にとりたてて不満はありません。長く暮らしてきた場所なので、やはり愛着があります。とくに自分の部屋は、自分の好きなものばかりが詰まっていますから。よくテレビで有名人の豪邸やら高級住宅を紹介していることがありますが、「どうでもいいなー」と思ってしまうことが多いです。これは強がりとかやっかみではないですよ。


さすがに台所、風呂場、トイレはリニューアルしました(といっても、それもだいぶ前のことですが)。ぼくはけっこう風呂好きで毎日入るので、これはよかったと思います。でも、この風呂場にも壁のタイルにひびが入っています。亡き父が、酔っ払って入った際に転び、モロに頭をぶつけてできたものです(そのせいで死んだわけではありませんが)。また、台所の器具入れの扉もへこんでいますが、これはいつかぼくが母とケンカした時に、腹立たしさのあまり、蹴りつけたせい。


よく阪急やJRの電車の窓から、無数の家々を眺めていると、「この一軒一軒すべてにそれぞれの生活があるんだな」と、不意に感じ入ることがあります。(O)


食べ物に関する話

夜食

 普段の就寝時間が夜中の3時過ぎという遅さなので、夜食が欠かせません。たいていカップラーメンです。夜中の1時か2時頃、休みの日に買いだめしたうちから今日のラーメンをおもむろに選び出し、台所へ行ってお湯を入れ、お茶(またはお酒)といっしょにお盆に載せて自室に戻り、ずるずるすすりながらDVDで映画を観るのが長年の習慣です。


 たまに夜食を食べないこともありますが、そうすると布団に入ったあと、腹が減ってきて眠れなくなってしまうことがあり、「やっぱり食べておくんだった」としきりに後悔するはめになります。時間が経つほどに空腹は増して寝付かれず、夜が白々と明けた頃になってからようやく起き出してカップラーメンにお湯を入れる、などということもあります(腹が満たされた後、再び布団に入ると、それまで寝付かれなかったのが嘘のようにストンと眠りに落ちます)。


 一時期、夜食を自分で作ろうと試みたこともあるのですが、すぐに面倒臭くなり、元のカップメン生活に戻ってしまいました。また、たまにラーメンでなく、おにぎりや肉まんやシーチキンの缶詰や諸々の冷凍食品などを夜食にすることもありますが、それらだとなんとなく物足りなさを感じ、やっぱり夜食は麺類が一番だなと思います。たまにうどんやソーメンを自分で湯掻くこともないではないのですが、これも面倒くさいので、年にせいぜい数回のこと。体に悪いと思いつつ、カップラ−メンは止められないのでした。


 いちおうカップラーメンの汁はあまり飲み過ぎないように意識はしているのですが、うまさに釣られて全部飲みほしてしまうこともままあり、その度に、「またやってしまった(まあ、うまかったからいいか)」と半ば放心気味でひとりごちるのでした。(O)


食べ物に関する話

 残念ながら未だに海外旅行に行ったことがありません。勿論、行ってみたい国というのはいくつかあって、その中の一つがイギリスです。それというのも坂田靖子さんのマンガでよく描かれているからです。
『闇月王』や『叔父様は死の迷惑』など多くの作品でイギリスが舞台となっています。そんな中で今回のテーマである料理に関する話ということで言えば、『底抜け珍道中』に出てくる「プディング」が気になっています。この作品は、イギリスに住んでいるマーガレットさんとご主人のタルカム氏の二人のドタバタを描いたマンガです。イギリスにはおいしい料理がないというような世間の噂とは正反対にこのマンガではおいしそうな「プディング」という料理が紹介されています。プディングはタルカム氏いわく「小麦で作ったタルトパイみたいな地にシチューや煮込みを入れたり フルーツやジャムをまぜたりして煮たり蒸したりしてるヤツ」とのことです。作品の絵を見てもかなりおおざっぱに描かれていて、実際にはどんなものなのか想像がつかないのですが、何となくおいしそうな感じがします。
いつの日にかイギリスでプディングを食べる日が来るのか、あまり実現しない未来のような気がします。(M)


国語の教科書で読んだ思い出の作品

芥川龍之介「トロッコ」

 思い出なんて特にはないんだけれども、トロッコという作品のことは憶えている。でも内容はやっぱりあんまり覚えていなくて、今回、この文章を書くために読み直してみて、ああ確かによんだことあるなあ〜という程度。どうして覚えていたのか?それは国語の授業の先生とセットになった記憶だから。その人はS先生、あだ名は“ボケ男(オ)”ひどいあだ名だけど、学生のつけるあだ名なんてそんなものだ。細身だけれども筋肉質で長身の眼鏡、寝癖頭にでかい手を良く動かす、少し小汚い感じのする男だった。先生という人種は世間に過剰適応した“いい子ちゃん”か、もしくは先生ぐらいにしかなれないだろうというような“奇人”か、どちらかが多いのだけれども、僕が中高生のときは後者の人が多くて彼もその一人だった。僕が覚えているのは彼が教壇をトロッコに見立て必死の形相で押しているその姿なのである。「トロッコ〜トロッコ〜」なぜだか本編中にも出てこない謎のセリフをはきながら、彼はトロッコを押す主人公良平の真似をするのである。学生への受けを狙った行為なのか、少し天然なのか今でも分からないけれども、取り立てて注目されることも無いこの作品がなんらかでも記憶に残っているのだから、教師としては成功だったのではないだろうか?


 そして僕はいま、あの時の先生と同じぐらいの歳になったと思う。振り返って見るとあの頃は“教える”ということにもう少し幅があったような気がする。今だから言えるのかもしれないが問題とか正解はいつも最後の付け足しにすぎない。それは物事のケジメとかと同じぐらいの気持ちで良かったのだ。この最低限のケジメを横目で見守りつつ僕たちは作品が作り出す世界で遊んでいたらよかったのだろう。


 そう考えると、僕らとボケ男はあの時、生徒と教師の立場のまま確かに遊んでいたけれど、あれもまた一つの教育なのだろう。奇妙なことに僕は今になって彼に少し憧れている。どこに?と訊かれると言い難いのだけれども、世間から離れているわけではなく、少しずれている所なのかなあ?小汚い男という部分は確実にそっくりなのだけれども。(H)


国語の教科書で読んだ思い出の作品

中島敦『山月記』

教科書というものに、あまりいい印象をもっていません。「この文章において作者が言いたいことは何か?」などと問うような国語の授業から離れて読むからこそ、本は面白いのだと思います。わたしにとって本はいつも、不意に読み始めるものであり、ときどき雲の形を眺めながら読み継ぐというふうであるのが、読書の理想的なありかただと思っています。けれども、国語の授業で出会った作品にも印象に残っているものがないわけではない。妙に心に残っている作品というのがあります。高校生のときに習った中島敦の『山月記』はそんなひとつです。役人を辞めて詩人を志すも果たせなかった主人公が虎に変わってしまう謎の物語。「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」とを抱えて苦悩する彼のかなしみは、たしかに高校生のわたしをとらえたのだと思います。「これが面白くなきゃ、他の教科書の作品ぜんぶ面白くないよ」という国語の先生(病弱で休みがちな中年の細身の男の先生でした)の言葉が今も耳に残っています。後年「不意に」読み返してみたことがありますが、やはり冴え冴えとした文章に心が引き立ってくるような、ふしぎな傑作でした。(O)


国語の教科書で読んだ思い出の作品

杉みき子「あの坂をのぼれば」(『小さな町の風景』(偕成社)所収)

中学校に入学したばかりの頃、色々なことがあって、少し重苦しい日々を過ごしていました。
そして、その頃国語の授業で読んだのがこの作品です。ある少年が自分の家の裏山をのぼれば海が見えるという祖母の言葉を信じて歩き続けるというストーリーなのですが、結局作品の中では海は見えないままで、ただかすかにその予感だけが描かれていました。当時の僕は閉塞感に満ちた毎日の中で、海が見えるかもしれないというそのかすかな予感を、自分の中の小さな光のように感じていました。
大学生になって、この作品を改めて読むと、本当に短い作品で、でもやはり僕にとっては明るく少し憂鬱な春を思い出すそんな作品でした。(M)


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