シグナレス/signaless signaless

M編集部員日記 - 2011年12月30日(金)

シグナレス12号配布のため恵文社、ガケ書房、アナベル・リーへ行く。
ガケ書房にて尾崎一雄『ペンの散歩』と前野健太『トーキョードリフター』を購入。『トーキョードリフター』はまもなくみなみ会館で公開される松江哲明監督のドキュメンタリー『トーキョードリフター』の主題歌を収めたCD。先日、この映画の予告編を観て聴いてみたいと思っていたもの。


夜、T・ジョイ京都で『忌野清志郎 ナニワ・サリバン・ショー』を観る。夢のような時間があっという間に終わったという印象。(M)


M編集部員日記 - 2011年12月24日(土)

シグナレスメンバーの忘年会。I氏とO氏とともに鍋をつつきながら、お酒を飲む。私自身はシグナレスメンバーの中で一番お酒が弱い人間なのだが、べらぼうに強いと思っていたI氏が、最近結構良い感じで酔っ払ったりするので、ちょっと驚いてしまう。


I氏から出来上がったばかりの12号を受け取る。今回から印刷の都合でサイズが一回り小さくなっている。私個人としては、やはり、少し余裕なく詰められているような感じがする。読者の方がどんなふうに思われるのか、感想も聞いてみたい。(M)



O編集部員日記 - 2011年12月5日(月)

近所のキャプテンラーメンで昼食のあと、広沢池周辺を自転車でぐるりひとまわり。季節の色を通り抜ける。途中、自転車を降りて林のなかを探索し、静けさに浸る。秋を惜しむかのようにしばらくじっとしていた。帰りにリカーショップへ寄り、菊水の一升瓶を買う。


そのあとは、うちでずっと読書。最近なにを読んでも面白い。


ギッシング『ヘンリー・ライクロフトの私記』(岩波文庫)読了。南イングランドの片田舎に隠遁して古典と田園の世界に心豊かに生きる一人の男の自伝という形式で書かれた作品。自然描写がすこぶる魅力的で、なんとも言えない心地よさをおぼえた。それと、この男の人生に対する考えに共感するところが多かったんだが、それってぼくが老人趣味の気味がある人間だということなのか? 今後もたまに読み返すことになりそうな気がする一冊。


ルナール『博物誌』(新潮文庫)読了。ルナールといえば、『にんじん』を十代の頃に読んだけれど、こちらも有名ですね。アヒル、ガチョウ、孔雀、白鳥、犬、猫、牛、馬、ロバ、豚、羊、ウサギ、とかげ、ミミズ、カエル、クモ、毛虫、蝶などなど、いろんな生物について書かれているのだけど、いずれも短文で、ちょっと日本の俳句みたいな味わい。単なる思いつきみたいな感じのものも若干あるけど、やはり「古典」の名にふさわしいふくよかさを感じさせる作品だった。鋭い観察が随所に光っていると同時に、その背後から著者自身の素朴にして充実した生活の気配が立ち上がって来る。…「有名な古典だけど読んでないものを読んでみようキャンペーン」次はアンデルセンの『絵のない絵本』かな。


コリン・ウィルソン『超越意識の探求』(学研)読了。八割方読んだところで放ってあったのをようやく。著者畢生のテーマである「至高体験」を、哲学、文学、精神分析、脳医学、人類学からわかりやすく紐解き、意識の進化、自己実現の可能性を説いている。相変わらずのウィルソン節が全開。ベケットやショーペンハウアーなどペシミスティックな考えの持ち主はケチョンケチョンに書かれている(笑)。まあいささか一方的な言いぐさのように感じられるところもなくはないのだが、この威勢のよさがウィルソン氏の魅力だと思う。本書は近作で、発表時著者七五歳とか。三つ子の魂百まで、だな。


紀田順一郎『神保町の怪人』(東京創元社)読了。古書の世界に詳しい著者による古本ミステリ。「展覧会の客」「『憂鬱な愛人』事件」「電網恢々事件」の三編を収録。紀田氏の古本ミステリというと、かつて『鹿の幻影』『古本屋探偵の事件簿』『魔術的な急斜面』を読んだおぼえがあるんだが、本書もやはり面白かった。こういう古書の世界を描いた小説というのは、やはり本好きには心愉しいものがある。(O)


M編集部員日記 - 2011年12月3日(土)

みなみ会館でエミール・クストリッツァ監督『アンダーグランド』を観る。ファンタジックかつユーモラスであり、シュールかつリアルである、そんなふうな色んな要素が詰め込まれた作品。20年間の地下生活という少々ぶっ飛んだ設定でありながら、第二次大戦以降のヨーロッパの歴史が見事に織り込まれている。そしてラストがまたシュールであり、美しい。ただ単に、とんでもない映画というのは結構あるけれど、こんなふうに自分の空想世界を独りよがりにならず、しっかりしたストーリーを絡ませながら一つの完成度の高い作品に昇華させているケースは少ないのではないだろうか。3時間近い大作ながら、見終わった後の後味も決して悪いものではない。空前絶後の作品というのはこういう作品のことだと思う。
さとうさとる・作、村上勉・絵『小さな国のつづきの話』読了。コロボックルシリーズ最終巻。このシリーズは子ども向けに書かれたものなのだけれど、今年、ある人から1巻目に当たる『だれも知らない小さな国』をいただいて、この歳になって初めて読んだ。いやはや、ゆかいだ。でも、子どもの頃、この作品に出会っていたとして、自分がはたしてこのシリーズを喜んで読んだかというと、ちょっとそうでもない気がする。いずれにしても、楽しい本との出会いであったことは間違いない。(M)


M編集部員日記 - 2011年11月27日(土)

京都シネマでジョン・キャメロン・ミッチェル監督『ラビット・ホール』を観る。京都シネマに行くのは随分久しぶり。この作品はO氏が絶賛していた作品なので、詳しくは12号で読んでいただきたいと思う。
埜納タオ『夜明けの図書館』(双葉社)を読む。図書館司書を主人公にした漫画。
前夜はアイリッシュパブノームの4周年ライブに誘われて行ったものの、いつものごとく撃沈してしまった。
12号の編集も大詰め。編集後記に何を書こうか思案中。(M)


M編集部員日記 - 2011年11月12日(土)

みなみ会館で吉田光希監督『家族X』を観る。平凡な家族の主婦が壊れていく様子を描いた作品。主婦役の南果歩は冒頭から少し病的な側面を見せているし、夫を演じる田口トモロヲも会社において微妙な位置にいるらしいことが描かれているが、それらについて一切の説明はなく、そして何も語られないまま映画は進んで行き、最後には破綻を迎える。普通の人々のはらんでいる危うさを描いた作品ということなのだろうが、あまりにも状況を説明するセリフや場面が少なすぎる、そんな印象。
ふと振り返ると、ここのところみなみ会館でしか映画を観ていない。他の映画館に足を運ぼうという気があまり起きない。滋賀会館シネマホールがあった頃が懐かしい。(M)


M編集部員日記 - 2011年11月6日(日)

みなみ会館でセミフ・カプランオール監督『卵』を観る。トルコの映画。決して派手さはなく全てにおいて地味な作品なのだが、温かくどこか微笑ましい感じがあり、観ていて心地良かった。ところで、この作品を含むいくつかの作品について、みなみ会館のHP上に「上映素材をDVの表記しておりましたが、両作品共に、35mmフィルムでの上映となりました。お詫びして、訂正申し上げます。フィルム上映にて、美しい映像をお楽しみいただけるかと思います。」と記されている。私のような素人でもフィルムでの上映の方が良いだろうと思うのだが、今回のような上映素材の差し替えが今年は結構多いような気もする。その辺りはどうしてなのか、事情に詳しい方がおられたら聞いてみたいものだ。
映画の後、美術館「えき」KYOTOへ「ルドンとその周辺」を観に行く。グロテスクでありどこかユーモアラスな感じのする奇妙な作品群は妖しく人の心を魅了するものがある。それにしても、こういった不可思議な空想がどこから生まれてくるのだろうか。勿論、ルドンという人そのものにもそういった意味で興味をそそられるのだが、そこに人間という存在の計り知れないところがあるようにも思える。


今日はKさんの結婚式の日だった。何はともあれおめでたい。末永くお幸せに。(M)


O編集部員日記 - 2011年9月21日(水)

昨日今日と二連休。でも、二日とも激しい雨降り。今日もスーパーへ買い物に出たほかは、一日家で過ごす。


DVDで『ゲゲゲの女房』を見る。このところこのドラマの世界にどっぷり浸っている。放映時は見る気がしなかったのだが、こないだ試しに一巻だけレンタルで見てみたところ、すこぶる面白く、すっかりはまってしまったのだ。DVDボックスを買い揃えて、一話一話大事に見ている。水木しげるにとりたてて興味がなかったとしても、たくさん受け取るものがあるドラマだと思う。


もともとテレビドラマというものを毛嫌いしていたのに、最近レンタルで見た『結婚できない男』にはまったのを皮切りに、『白い巨塔』『北の国から』にも熱中(まあ、その間に面白くなくて途中で止めてしまったドラマもいくつかあるのだけど)。あと、これはドラマというかコメディードラマというべきだが、『やっぱり猫が好き』もよく見ている。これはすごく面白いというわけではないのだけど、寝る前に見るのにちょうどいいのだ。小林聡美、室井滋、もたいまさこがそれぞれに魅力的で心地よい。


ネットで注文した少年マガジンコミックス版の水木しげる『河童の三平』(講談社)全5巻が届く。これは小学生のときに持っていた本なんだけど、いつの間にか失くしてしまって(母に捨てられたのか?)、今回二十数年ぶりに再入手した。なつかしい。淡い色彩のカバーイラストがいい感じ。


竹本健治『キララ、探偵す。』(文藝春秋)読了。異色の美少女メイドミステリー。数年前の刊行以来気になりつつ、「竹本健治がメイドねえ・・」という感じもして手を出さないままでいたのだが、こないだ『本棚』といういろんな人の本棚の写真が載った本を眺めていて、穂村弘の本棚にこの本があるのが目に留まった瞬間、「やっぱり読もう!」と思ったしだい。なかなか楽しめたんだけど、続編の『キララ、またも探偵す。』も読むかは今のところビミョー。


筒井康隆『漂流』も読了。これまで愛読した本について書いた書評的自伝。「幼少年期」「演劇青年時代」「デビュー前夜」「作家になる」「あらたなる飛躍」の五章からなり、実にいろいろな本が取り上げられている。今更ながらこの作家の幅広い関心、あくなき探究心を感じる。


あと、石黒正数『それでも町は廻っている』(少年画報社)の8、9巻と、とよ田みのる『友達100人できるかな』(講談社)の4巻も読む。どちらも最近お気に入りのマンガ。(O)


M編集部員日記 - 2011年9月19日(月)

上林暁『星を撒いた街』(夏葉社)を読む。この本を手にしてみて、そして読んでみて本当に良い本だとしみじみと思った。もちろん、収録されている作品も素晴らしいけれど、この本に関わった全ての人の愛情が感じられる、そんな一冊だと思う。撰者である古書店「善行堂」の山本善行さんはもちろんのこと、装丁や造本についても作り手の思いが感じられる。収められている作品は、どれも何とも言えず味わい深い。上林暁の作品をもっと読んでみたいとこの本を読んで思った。


午後、みなみ会館でジャン=リュック・ゴダール監督『女は女である』を観る。現在、みなみ会館で上映中の『ふたりのヌーヴェルバーグ』にちなんだゴダールとトリュフォーの特集上映の一作。ゴダールはあまり観ていないけれど、それでもいくつか観た作品のほとんどはみなみ会館で観ていて、自分の中でゴダールといえば、やはりみなみ会館を思い浮かべる。


それにしても、最近のみなみ会館は寂しい感じだ。今日は、さすがにゴダールの作品ということもあって、そうでもなかったけれど、昨日、一昨日と観た作品は、どちらも両手で数えられるくらいの観客数だった。絶対に何かがおかしい、自分にはそう思える。そのあたりのことについては、また改めてこの日記に書いてみたい。(M)


M編集部員日記 - 2011年9月10日(土)

11号配布のため、大阪へ。ちょうちょぼっことcaloをまわる。


夜、磔磔でのThe Birthdayライブ。Kさんと観に行く。超満員で大変な盛り上がり。色々なライブにぼちぼち行っているけれど、こういう激しい感じのライブは随分久しぶりで、気持ちよかった。やっぱり音楽の力は凄い。


今日のライブのような時間はいわば非日常と言えるものだと思うのだけれど、自分の日々の生活ということを考えたときに、日常にはなかなか馴染めなくて、非日常があるから日常を過ごすことができる、もしくは非日常のために日常がある、そんな感じがする。


この話をKさんにすると私はあくまでも日常を生きていますとの答え。


Kさんは確かに色んなことがあっても、日常を淡々とそれとして暮らしている印象がある。おそらく、自分はそうでないからこそ、そういうKさんのような暮らしにも憧れてしまうのだと思う。


帰り道、京都駅まで歩く。月が美しい。こういう時間は日常と非日常のはざまなのかもしれない。(M)


M編集部員日記 - 2011年8月31日(水)

flowing KARASUMAでの「羊毛とおはな」のライブへ行く。「羊毛とおはな」は男性のギターと女性ボーカルのユニット。今日演奏された曲は、洋楽のカヴァーとオリジナル曲が半分ずつくらいだたでしょうか。何しろ本当に心地よかった。flowing KARASUMAでライブを見るのは初めてだったけれど、天井が高くて、音が響くような感じで、さらに演奏も最高だったように思う。特に、アンコールで演奏された「人魚」はアンプを通さない生の演奏でしびれました。


また、是非この場所でライブがあれば行きたいと思います。(M)


M編集部員日記 - 2011年8月30日(火)

京都シネマで新藤兼人監督『一枚のハガキ』を観る。平日の朝の回だというのにほぼ満席。99歳、新藤監督の渾身の一作といった感じ。「凄い」の一言。正に直球勝負で、観るものを圧倒する力がある。


その後、アナベル・リーで昼酒。そこにいたIさんという方がお店の夏休みなどで「勝手ながら休業します。」という張り紙があるけれど、「勝手ながら」というのが良いねという話をされて、確かに変に理屈をつけるわけでもなく、自分の勝手だけど休みますというのはちょっと良い感じだなと思った。


でもって、僕も本日は「勝手ながら」お休みでした。(M)


M編集部員日記 - 2011年8月28日(日)

みなみ会館でスペンサー・サッサー監督『メタルヘッド』を観る。予告編を観た限りではもっとぶっ飛んだスカッとする映画だと思ったのだが、意外と辛気臭い内容。


円城塔『Self-Reference ENGIINE』(ハヤカワ文庫)読了。円城塔のことは前から気になっていたのだが、文庫化されたので読んでみた。この人の経歴は少し面白くて、この作品の前身となる作品で小松左京賞最終候補となったものの落選し、その後文学界新人賞でデビューというもの。しかし、『Self-Reference ENGIINE』を読んでいるとSFで出発し、純文学でデビューという経歴もうなずける気がする。この作品はハヤカワ文庫に収められているからには当然SFなのだし、内容的にも時間や宇宙といったSF的なパーツで組み立てられている。しかし、一方で時間や世界のあり方という問題を扱っているという意味では哲学的、純文学的とも言えるような気がする。面白くて良くできた作品なのだが、少し理知的な部分が表面に出すぎているそんな印象でもある。


ここのところ、自分の中で問題となっているのが「申し訳ありません」という言葉。先日まで当たり前のように使っていたのだが、この言葉を含む文書の校正をある人にお願いしたところ、「これって日本語としておかしくないですか」と言われ、最初は何のことか理解できなかった。それでよくよく聞いてみると「申し訳ない」という言葉はそれ自体で一語であり、「申し訳」+「ない」ではないので、「申し訳がある」という言葉はなく、「申し訳ありません」もおかしいとのこと。国語辞典で調べてみると確かに「申し訳ない」で一語であり、形容詞であると出ている。それ以来、自分でも「申し訳ありません」ではなく、「申し訳ないです」と言うように気をつけているのだが、やはりついつい、「申し訳ありません」が出てしまう。


それと同時に映画や本の中でもこの言葉が気になっていて、ちなみに先日観た『コクリコ坂から』でも「申し訳ありません」というセリフがあったし、今日読んでいたレイモンド・カーヴァー著、村上春樹訳『像』(中央公論社)の解題の中でも村上春樹が「申し訳ありません」という言葉を使っているのを発見。多分どっちでもいいんだろうなと思う。(M)


M編集部員日記 - 2011年8月26日(金)

TOHOシネマズ二条で宮崎吾朗監督『コクリコ坂から』観る。地味でベタな作品だと思うけれど、泣いてしまった。


ちょうど先週の金曜日は滝本晃司のライブの日で、Mさんと観に行った。Mさんには以前別のバンドのライブに誘っていただいたので、今度はこちらが誘ったのだけれど、あまり楽しめなかったようだ。Mさんは何事にもはっきりしていて、決してこちらが誘ったからといって、自分が思ってもいないのに「良かった」とは言わない。


勿論、こんなふうについていけないという人がいる一方で、現在はメジャーシーンとは無縁でありながら、3、40名の人がライブにやってくるというのはやはり凄いことだと思う。もしかすると、瞬間的にヒットを飛ばして東京ドームを満員にするより凄いかもしれない。


今年になって知り合ったKさんはここのところ遅くまで仕事をしている。それほど急ぎの仕事とも思えないので、もう少しのんびりやればと言うと、「明日死ぬかもしれませんから」という答えが返ってきた。明日死ぬかもしれないと思うなら、なおのこと仕事なんかせずもっと他にやることがあるのではと言うと、「私はそうは思わない」とのこと。


自分自身を振り返ってみて、すごく熱心に何かをやっているわけではないけれど、映画や音楽という心を揺さぶられるものがあって、大きなお世話だと思うけれど、何かそういったことをKさんにも少し分かって欲しいなと思う。でも、当然人の心を少しでも動かすなんて難しいことで、そういう意味でも滝本さんの歌は凄いのだと実感。


また、明日からぼちぼち自分の好きなことを求めてやっていきたい。(M)


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